過程をいかにして楽しめるか?これが勉強のコツだと言えます。それは料理で考えるなら、材料が与えられ、その後、素材を生かしどのような料理に仕上げていくか?であり、この道のりを一つ一つ経験していくことが勉強においては大切なのです。素材に触れ、時には削り切り刻み、味付けをし、火にかけて最後にお皿に盛るまではいろんな出会いや気づきがあるのと同様、勉強においても最初に決まりや公式を教わりそれを活用しながら反復したり何度もチャレンジしたりすることで、ようやく概念的な理解に至るのです。
ところが、今の子供はコンビニ慣れしているせいもあってかすぐに答えを知ろうとします。また、短時間のうちに理解している状態でないと居心地の悪さを感じ、もう一度やり直してみたり、違う方法を試してみたりといった手の込んだことをする子が極めて少ないように感じます。
解らないことに時間を費やせば費やすほど、それが出来たときに放出されるドーパミンの量は多いのです。簡単にすぐに理解の沸点に到達するような問題ばかりを求めていては肝心なドーパミンは一向に出てきません。「小学生ぐらいまではそこそこ勉強が出来ていたのに今は…」というような悩みをお持ちの親御さんの子供を見ているとかなりの確率でこういった傾向が見て取れます。
年齢を重ねるごとに学ぶ知識の量も増え、深みは増してきます。レベルが少しずつ上がっていく段階においては、そこで我慢したり、チャレンジしたり、ときには勇気を振り絞ることも必要になってくるのです。人というのは、マラソンに例えても同じことが言えますが、少しやればもう少しやろうという欲求が湧いてくるものです。最初は、10㌔やハーフのレースで満足していてもそれを続けることでついには「フルマラソンにチャレンジしよう!」と思えてくるようになるのです。フルマラソンのほうがしんどいし辛いことは分かっています。でも、少しずつの積み重ねがやがては大きなものへのチャレンジ精神を掻き立ててくれるといったそんな仕組みが脳にはあるのです。
出来合い物は、見た目も味も非常によくできていますが、そこに至るストーリーが自分のものではないというところが最大の欠点です。食べ物で言えば、胃に入ってしまえばそれでお終いなわけですが、
勉強においては、例え即座に答えを手に入れたとしてもそれは何の意味もなしえません。知識として定着しないばかりか、その後の自分の考える力や知の探究心といったものまでも奪い取ってしまうことになるのです。
少しずつレベルが上がっていっても、そこに「チャレンジしよう!」「出来るだけやってみよう!」「最後まで頑張ろう!」といった謙虚な姿勢が必要です。一歩一歩階段を上がっていくことで自信も湧いてくるようになります。それが習慣づいている子供というのは、その先に訪れる困難や難題にも自分で立ち向かおうとしていけるのです。
したがって、教える我々側のほうもなるべく生徒たちには考えさせる時間を作り、時間がかかっても自分で何とかさせ、その結果、出来るという喜びを互いに享受出来るというのがほんとうにやらなくてはいけない教育なのだと私は思うのです。我々側のほうにも"我慢"というこの二文字が今必要に迫られている、社会全体を見ていてもそう感じることが多い毎日です。
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