「まったく学ぼうという意欲がないなんていう生徒はいない!」これは私の経験上断言できることです。エッと思われるかもしれませんが、これは本当です。最近、ある一人の生徒を観察していてつくづくそう感じます。確信できる、間違いないことだと。意欲がない生徒を作り出しているのは周りの環境であって、環境やきっかけを与えてやればどんな生徒でも何らかの変化が生じる、学ぼうという芽が膨らんでくる、そう考えて間違いはないのです。
どの学校にも勉強をほとんどしないという生徒がいますし、成績もほぼオール1といった生徒がいるのは事実です。しかし、このような生徒に学ぶ意欲がないとか、興味や関心がないのかというとそれは違います。大概が、親や先生の決めつけによるものなのです。長年の蓄積によって、「僕は勉強が出来ないんだ!」「勉強が嫌いだ!」という意識が土壌の奥底にまで広がって抜こうにも抜けない、そんな状況なのです。
例えばですが、私は、5教科の成績がオール1という生徒は見たことがありますが、5教科すべて0点という生徒は見たことがありません。いくつかの教科は、たとえ一桁という点数であっても点は取れています。0点か10点かというのは大きな違いです。しかし、一般的に周りには、90点や100点を取ってくる生徒がいるため、そんな生徒と比べてしまい、「この子は勉強が出来ない!」というレッテルが貼られてしまうのです。これが教育上の元凶なのです。一般的に勉強が出来ない、と言われる生徒と膝を向き合い会話が出来るようになると見えてくることがあります。勉強嫌いという意識の中にも、「この教科はまだ好きなほう!」といった優劣が見えてきたりします。さらに、もっと深く入り込んでいけるようになると過去の栄光のようなものまで引っ張り出してくることが出来たりするのです。「なんや~、小学校のころは国語好きやったんや!」みたいに。
生徒と一緒になってこの部分を見つけたり探し出すのに私は長けているのかもしれません。人はいいものをいっぱい持ってますし、本人や周りが気付いていなかったり、意識できてなかったりするだけなのです。これに気づいてあげるように、先ずは耳を傾けてあげることが教育のスタートといえるのです。
それでも「ほんまになにもやりよらへん!」「まったくやる気がうちの子はないわ!」そんな声も聞こえてくるでしょう。でもね、そういう子たちっていうのは、実は、「何をやったらいいかがぜんぜんわからない!」のです。教科書を読んで線を引くのが勉強なのか、問題を解いて丸つけをすることなのか、それすらじゃあどうやってやればいいのといった世界なのです。
でも、ここで注意しないといけないのは、「すべて、1~10まで与えてしまわない!」ということです。彼らにも、経験上の成功例や達成感といったものはすでに蓄積されているので、それをどのようにして活かし、その上塗りをしていくかです。勉強は全然ダメでやる気もなくても、LINEの複雑な機能を覚えたり操作方法をマスターしたりすることは自力でやってのけるのが今の子供。ゲームの攻略方法なども記憶し、0コンマ何秒という間で正しい判断のもとに器用に手先で操作をしているのです。これらを勉強に活かさない手はありません。こういうときにどんな気持ちになっているのかをイメージしてもらいます。出来たときにどんな感情が沸き起こっているのかを振り返ってもらいます。好きだ、やりたい、ということは他のことを放っておいても時間を惜しんでもやるのが人間で、特に子供の場合はそれが顕著です。
ならば、勉強というものをどのようにして、自分にとって「やりたいこと!」や「興味あること!」や「必要なこと!」にしていくかです。押し付けなければ、まるでカギが開くときの一瞬のように、ピタリと合う瞬間というのがあるのです。ここだ!という瞬間です。それが見つかれば、あとは漆を器に塗り付ける作業のように何度も何度も根気よく続けるのみです。見た目は変わったように見えなくてもそれでも何度も何度も繰り返すのです。そういうものが教育というものなのです。