人生においてどんな人と出会ってきたかということは言うまでもなく重要なことです。
今の自分というのは、会ってきた人の人数やどんな人と会ってきたかによって作られているからです。
一方で、教育に携わる私はこのような見方もしています。
人生においてどんな知識や情報と出会ってきたか、これも同じだけ重要なことであると。
出会った情報により人は影響を受け、時に魂が研鑽されることもあれば反対に堕落の方向へと導かれることもあるのです。
一期一会という言葉があります。座右の銘にしておられる方も多いと思います。「すべての出会う人に対して、その瞬間、瞬間を一回限りのものという思いで大切にしていきましょう!」という意味です。この"人"の部分を"知識"や"情報"というものに置き換えて考えてみてください、ということを私は提言したいのです。
また、人との出会いはこちら側の意志で選べないことも多いですが、知識や情報というのは自分の意志で取捨選択が可能であるともいえます。なので、マンガぐらいしか本は読まないような子供と新聞や本を習慣として読む子供とでは、出会いの質が違いますので最終的に豊かさという面で比べてみたとき大きく差が生じてしまうのです。
知識や情報の質を高めるには、出会ってきた人の数が大事であったように先ずは、取り入れる情報や知識の数を増やさなくてはなりません。数が増えていくことで情報や知識どうし化学反応をおこし洗練され自分の中に血となり肉となるように知恵と化すのです。
そのための適した教材が、言うまでもなく新聞と本です。新聞はなぜ良いのかというとバランスが非常に整った毎日摂取すべく栄養食だからです。ネットでも今は検索すれば…、ということが言われますが、ネットだと栄養がどうしても偏ってしまう。瞬時にどこでも調べ物が出来るという優れた点はありますが、これだけに頼ると栄養のバランスが崩れゆくゆくはやっかいな成人病を引き起こしかねないのです。新聞の偏りについても言われるころがありますが、イデオロギーはあって当然です。だから幅広く読む必要があるのです。煮魚定食があってもきちんとご飯も味噌汁もサラダもついていますが、いつも煮魚ばかりでは偏ります。だから、コロッケ定食や生姜焼定食も食べるのと同じです。
本は、人生の先達に出逢いたい放題です。一旦、対価を払って本を購入してしまえば先達の予定などといった相手の都合もお構いなしで話が聴き放題になります。先達が見てきたこと、経験してきたこと、考えていることをしようと思えば全部自分のモノに出来るのです。こんなに有難いことはあるでしょうか。
したがって、これからどんなに便利なものが世の中を席巻しようとも新聞と本が影に隠れてしまうことはないのです。いや、ないようにしないといけません。本を読むのも新聞に目を通すのも一期一会、みながこのように思えば新聞と本の存在価値が揺らぐようなことにはならず、この2つから出会う知識や情報が人を豊かに幸せにしてくれるのです。
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